子どもの頃から、国内外でたくさんの冒険を経験してきました。その経験が、私を8000m峰という高みへと駆り立て、そして今、新たな挑戦へと導いています。それは、子どもたちにヒマラヤの壮大な自然と、冒険の喜びを体験してもらうことです。
この活動を通じて、子どもたちが冒険心を育み、未来を切り開くきっかけとなるような活動を目指します。
ヒマラヤでの貴重な体験を、より多くの子どもたちに届けるため、皆様の温かいご支援を心よりお待ちしております。
Watanabe Naoko
私の夢は、
私だけの夢ではない。
私の冒険は3歳から始まった。両親の付き添いなく、障害児も参加する登山やサバイバルキャンプに参加。小学生になってからは、アジアの子ども達といっしょに中国にある無人島でのキャンプやモンゴル草原縦走などを経験した。
小学校でいじめに遭うも、冒険仲間のコミュニティがあったことや、その大人達にも守られ、不登校やぐれることもなく、引っ込み思案だったところからも強くなれた。
冒険では登ることの楽しさよりも長期間の仲間との生活が楽しかった。それはさまざまなハプニングを楽しめる考え方へと変わり、何事にもチャレンジできる人間になれた。
小学4年生の時には、初体験した雪山登山に魅了された。中学1年生でパキスタンの4700m登山を経験したことで、高所登山の面白さを知った。登山をしながらバドミントンにも熱中し、長崎大学では全日本学生選手権出場を果たした。
大学生になり、登山と正反対のことをしてみようと水産学部を専攻、韓国済州島で海女(あま)の研究をした。
大学3年生の時には、6000m峰でチームで登山に挑戦。保健係を担当したことで、看護師の仕事に興味を持った。看護師をしながら資金を貯め8000m峰遠征に通い続けた。私にとって、心が解放される貴重な時間だった。気がつけば、日本人女性として初めて8000m峰全14座を制覇するという偉業を達成していた。
年々、精神的に不安定な子どもや、病んでいる大人が増えていると感じている。ある時、人生に疲れていた友人をヒマラヤに連れて行った。日本に帰る頃にはすっかり元気になっていた。私自身もヒマラヤが精神的支えになっており、このヒマラヤでの登山が精神的ケアの大きな役割を果たすのではないか。同時に、私が経験したように、子どもの時の体験は、ユニークな人間を作る大きな可能性を持っているのではないかと思いだした。
時代は変わり、子どもに体験させることが危険だと臆する親が多くなった。預ける先に不安があるのも理由のひとつだと思う。これまでの実体験がある私であれば信頼し、安心して預けてもらえるような組織が作れるのではないかと考えている。その場所で、日本だけではなく世界中の子どもたちに冒険を経験してもらいたい。エベレストは登山だけではない楽しいことがたくさんあることを知ってもらいたい。
そのためにまず、より多くの方に私を知ってもらう必要がある。今までこつこつと積み重ねた経験は自分の趣味のひとつだった。これからはこの経験を活かした社会に貢献ができるようにしていかなければならないと思っている。
日本人女性初8000m峰全14座制覇は私にとっては、あくまでも通過点であり、その先にもっと大きな夢がある。
どんな人にも可能性はある。私の挑戦が、誰かの挑戦につながったら嬉しい。
私の夢は、
次の世代へつながる夢。
子どもの頃から、国内外でたくさんの冒険を経験してきました。その経験が、私を8000m峰という高みへと駆り立て、そして今、新たな挑戦へと導いています。それは、子どもたちにヒマラヤの壮大な自然と、冒険の喜びを体験してもらうことです。
この活動を通じて、子どもたちが冒険心を育み、未来を切り開くきっかけとなるような活動を目指します。
ヒマラヤでの貴重な体験を、より多くの子どもたちに届けるため、皆様の温かいご支援を心よりお待ちしております。